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多くの壁と戦い続けた
産休・育休からの復帰。
私の後に、道はできる。
産休からの店舗復帰に挑む。
2010年入社 銀座ライオン 秋葉原ラジオ会館店(取材当時)

札幌で生まれ育ち、大学から東京へ。銀座五丁目店に配属となり、2年後に新宿店へ。アイリッシュパブの店長を務めていた2014年に産休に入り、2015年、現店舗で復職。中学から続けるバドミントンはシニア全国クラスの実力。

「辞めたい」と悩んだ新人時代。お客様の言葉に救われる。

最初に配属された銀座五丁目店は歴史ある店で、ひとつひとつ覚えねばならないことの多さに私は大苦戦しました。こんな仕事、辞めたい。思い詰めながら働いていたある日、女性のお客様が私をじっと見ておっしゃいました。「あなた、肩の力抜いていいのよ。もっと楽に、ね」。泣きそうになるくらい心に響き、気持ちが楽になったのを覚えています。
仕事を覚えるにつれて楽しさが増していき、新宿店で働いていた入社5年目には店長を拝命。仕事に脂が乗ってきたところで、妊娠がわかります。私は普通に出産・育児休暇を取得して職場復帰するつもりでしたが、それは一筋縄ではいかないと徐々に気付いていきました。

産休育休を経て現場復帰。高い壁と戦う。

店の稼ぎ時は、夜です。育児で時短勤務となる自分に任せられる仕事が以前よりも多くないことは、わかっていました。何事もキャリア半端にすることが嫌な性格で、悔しい気持ちでいっぱいになった時期もありました。配属になった店舗では皆私を快く受け入れてくれ、子どもが急に熱を出して早退するとか休むとか、絵に描いたようなトラブルも、他のスタッフが黙って助けてくれました。
ですが、仲間への罪悪感と、思い通りに時間も仕事も嚙み合っていかないもどかしさと私はずっと戦っていました。でも、私は辞めたくなかった。ここで私が退職すれば、今後子どもが生まれる社員の職場環境は良くなっていかないと思ったし、何よりも自分のために、私は仕事を続けたかった。

私なりの道をつくる

出勤している間、私にできることは何でもやります。客席社員が3人いる中で、私の役割は10数名いるアルバイトスタッフの指導とサポートです。プライベートなことも含めて、愚痴でも相談でもなんでも聞きます。子どもがいるパートさんには自分の立場だからこそできる目線で相談に乗れたりもします。
理想の仕事像と大切にしたい生活と時間・人との折り合いと…様々なことがぐちゃぐちゃになり、葛藤し続けていましたが、最近は少し肩の力を抜けるようになってきました。女であり妻であり母である自分をまずは真正面から肯定し、私は、私らしく頑張る。私は私の道を行けばいい。そうすれば、細いながらも道ができる。今はそう信じています。

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